井上徳三郎頌徳碑(詳しい説明はクリックしてください。)
◆「井上」の由来
井上発展の礎を築いた故井上徳三郎氏の功績を語らねばなりません。
明治39年以降、今の井上町は、”猿投村大字四郷字東山”と呼ばれていました。
井上氏は、東山一帯を明治44年に農場を営むために購入され、
農場の小作人は6戸、合わせて33人で、鍬をふって開墾に当たりました。
開墾は、原野のために大変苦労を重ねたようです。
小作人の皆さんの生活は非常に厳しかったと聞いています。
大正12年には寺部の農学校が群制廃止で経営難にあるため、
農場の一部を寄付して現在の県立猿投農林高校の誘致をされました。
また大正13年には、三河鉄道を敷設するために奔走し、
現在の猿投駅の用地も寄付されました。
こうして東山はいち早く猿投村の中心地になったわけです。
大正14年には井上徳三郎氏の猿投村に対する功績を讃え、
現井上11丁目地内に猿投村村議会を経て村費にて井上真冽翁頌徳之碑が建立されました。
昭和11年には井上徳三郎氏の偉業を後世に伝えるため、
猿投村議会の議決により、当地の地名が大字四郷字東山から
大字四郷字井上に改められたことが「井上」の地名の由来となっています。
◆井上公民館◆
昭和58年に井上五郎氏より水神池(雉立池)の埋立地366uの寄付を受け、
区民待望の井上公民館の建設が始まりました。
昭和59年11月に井上公民館が完成しました。
同時に水神社・井上五郎氏の胸像が建立されました。
井上公民館では、友睦会・子ども会・ジュニアクラブ・付記し
ボランティアグループや各種同好会の皆さんの多くの方々が利用されています。